シリーズ!「死生学」授業内講演①

 文化史学科研究室です。

文化史学科では宗教学・哲学・美術史学・医学・法学・社会学にまたがる死生学の概要について学ぶ「死生学」(担当:井上まどか先生)の授業が開講されています。

昨年度に引き続き、授業内講演が開催されました。講師は東京大学名誉教授の鶴岡賀雄先生。鶴岡先生は井上先生の師匠でいらっしゃるそうです!

ご講演中の鶴岡先生


授業を受講している学生さんから感想が届きましたのでご紹介いたします。


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今回、鶴岡先生の授業内講演を聴き、「死」に対する考え方が少し変わりました。

私は、ある時から「死」に対して異常なほどの恐怖心を抱くようになりました。「死」について考えると、生きていることへの恐怖さえも感じてしまいます。例えるなら、「死」という沼に、一度でも墜ちてしまうと、奥底に引き込まれ、抜け出せないような感覚です。このようなことを、考えないでいる時は、幸せですが、一度でも考え、その沼に墜ちてしまうと、現実に戻ることが非常に難しいです。

そんな私ですが、今回の講義を聞き、「死」に対する恐怖心というのが少し軽減されました。例えば、本当に死ぬということは、誰からも忘れさられた時であるという言葉です。私は、死ぬことはとても怖いです。以前は、死んでしまうと、自分の目の前に二度と現れることはなく、会いたくても会えない存在になるから怖いと思っていました。ですが、世の中の誰からも、自分のことを忘れ去れることが、「死」であるということならば、直接的に会うことは出来ないけれども、誰かの記憶の中で忘れられるまで生き続けられるならば、「死」ということは怖いことではないかなと思うようになりました。

(文化史学科3年 Sさん)


鶴岡先生の授業の中で、「死後」のイメージについて考えるというものがありました。

クラスの学生さんの意見には、「死んだら終わり(であってほしい)」「眠るようなもの」「魂のようなものになる」というものや、宗教が提示している死後の見方などがありました。

自分は「死後は肉体は原子に戻り宇宙の一要素となり、いつか何かを構成する何かになる」というイメージだと思いました。ただ、これは現実的なイメージであって、理想の「死後」(のイメージ)は、何でもできる幸せな場所にある洋風の庭のある家で、毎日静かに、楽しく暮らしたいというものもあります。

リアクションペーパーを見て、自分では思いつかない(共有したこともない)考えを知ることができ、とても面白かったです。もしその後の人生で考えが変わるとしたら、それも知りたいとも思いました。

科学の発達によって、宗教や死に関することが忌避されるようになり、死後について考える手段が無くなってしまったが、それを手助けするために死生学があるのではないか?というお話で最後が締めくくられました。死ぬこと、死んだ後のことは、イメージがあった方が現代の人々にとっては良いのか悪いのか、科学ではどこまで説明できるのか、倫理的には?、再び宗教の力が強くなり普遍的な死後のイメージが広がっていくことがあるのかなど、授業を受けて、様々考えてみたいことが生まれました。

(文化史学科3年 Hさん)


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授業内講演の最後に宗教史学を学ぶ学生さんより鶴岡先生へお花の贈呈がありました。

実は鶴岡先生、70歳になられるとのことで、この授業内講演が清泉女子大学での最後の講義となったそうです。

鶴岡先生、井上先生と死生学を学ぶ学生さんたち




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